墓地にとりましては最も重要となっている永続性が保証ブログ:160312
昭和三十八年に我が家にテレビがやってきた。
その時、オレは小学一年生だった。
まだ番組がない時は
画面に大きな円形のマークが入っていた。
勿論、白黒である。
わずかな子供番組がある時は、
外で遊んでいてもダッシュで走って帰っていた。
ママは農家の仕事でいつも外に出ていたので、
オレの記憶の中では、
いつも祖母と二人でテレビを見ていた。
特に、長い休みの間は
オレは祖母と二人で時間を共有して、
テレビの前にいることが多かった。
小学二年生の夏休みの事…
ふと気がつくと、祖母が
番組の歌や配役の名前などの、
ひらがなやカタカナを、声に出して読んでいるのがわかった。
それも、すらすらとは読めない。
特にカタカナはとてもぎこちなかった。
漢字もとても簡単で、
小学二年生のオレが知っている漢字の読み方を、
時々オレに聞いては、声に出していた。
文字がわからなくなるとオレに聞いた。
ある日、オレはしつこく聞かれ、教えてあげたが、
その時、心の中で「何で、オレに聞くの?」と思った。
そして、その時、
多分うっとおしいような顔をしていたのだと思う。
祖母は、オレに気の毒そうに小さな声でつぶやくように、
「オレは、子守り奉公に行ってたからなあ〜」と言った。
祖母が家の事情で、ほとんど小学校にも行けず、
子守り奉公に行っていた事をママが話してくれた。
オレはまだ子供だったが、
小学校へ行くことが当り前だと思っていたのに、
そうではなかったことに衝撃を感じたことを今でも覚えている。
オレはその時八歳で、祖母は七十七歳だったので、
祖母の子供時代は遥かに遠い昔のように思えたが、
小学校へ行ける自分が、
とても幸せだと感じたことも忘れることができない。