墓地にとりましては最も重要となっている永続性が保証ブログ:140113
奥さんがPTAの副会長をしていた頃には、
ぼくは副会長のご主人と呼ばれていました。
入れ替わりでぼくが会長になったとき、
奥さんが会長の奥さんと呼ばれるようになるのに
そう日数はかかりませんでした。
いろんな行事で衆人環視の中に立つことによって、
顔を覚えられてしまいました。
道を歩いていると
見知らぬ方から挨拶をして頂くことが多くなってきました。
そんなある日の6時、
狭い道を横断しようと歩道の前に一人立ったときのことです。
信号は赤でしたが車は見えません。
以前のぼくなら赤信号を無視して渡っていたでしょうが、
その時は信号のボタンを押して、青信号になるのをむなしく待ちました。
誰かに見られているというブレーキがかかったからです。
お子さんの頃、親に内緒で危ない冒険をしたとき、
親には筒抜けであった経験があります。
親には見られていないはずなのにと不思議でしたが、
誰かが見かけて親のネットワークで知らせていたのでしょう。
地域のお子さんにとっては知らないよその大人でも、
大人の方はお子さんを知っていたのですね。
やがて見られているという思いが
悪さにブレーキをかけるきっかけになっていったようです。
「旅の恥は掻き捨て」という悪習は、
自分が知られていないという思いこみに発しています。
今のお子さんたちは、
自分の住む地域でまるで旅人のようになっています。
親のネットワークがすっかり消滅しているからです。
教育力というのは、
親たちがお子さんたちを見知っている地域にしか
備わらないものだと思います。